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  • エル・プリメロ完全ガイド

エル・プリメロの最大の特徴は、毎時36,000振動(毎秒10振動)という圧倒的なハイビートにあります。一般的な高級時計が毎時28,800振動である中、この「0.1秒」を刻む高精度は、当時の技術の限界を超えた挑戦でした。しかし、エル・プリメロが伝説となった理由は、スペックだけではありません。

エル・プリメロ専門店「ウォッチワース」店主であり、ヨーロッパのオークションハウスの時計部門上級エキスパートでもある私が、1969年の誕生から最新キャリバーまで、その歴史と賢い選び方を徹底的に紐解きます。

1. 導入:なぜエル・プリメロは「伝説」と呼ばれるのか

機械式時計の世界において、その名を聞くだけで時計愛好家が襟を正すムーブメントがあります。それが、ゼニス(ZENITH)が誇る「エル・プリメロ(El Primero)」です。

1969年に誕生して以来、半世紀以上にわたって「世界最高峰の自動巻きクロノグラフ」として君臨し続けるこの名機には、単なる工業製品を超えたロマンと、時計師たちの執念が刻まれています。

エル・プリメロの最大の特徴は、毎時36,000振動(毎秒10振動)という圧倒的なハイビートにあります。一般的な高級時計が毎時28,800振動である中、この「0.1秒」を刻む高精度は、当時の技術の限界を超えた挑戦でした。しかし、エル・プリメロが伝説となった理由は、スペックだけではありません。


2. 歴史:誕生から現在に至るまでのストーリー

ゼニスの「エル・プリメロ」の歴史は、単なる技術開発の記録ではなく、存亡の危機を救った人々の情熱と、数奇な運命が交錯するドラマそのものです。長くなりますが、その誕生から現在に至るまでの歩みを詳しくまとめます。

1. 開発と誕生:高精度への執念(1962年〜1969年)

ゼニスは創業100周年にあたる1965年の発表を目指し、1962年から「自動巻きクロノグラフ」の開発に着手しました。開発チームが直面した最大の課題は、既存の自動巻き機構を単に載せるのではなく、いかにクロノグラフ・システムと統合するか、そして毎時36,000振動という超ハイビートを実現するかでした
この高振動は、オイルが飛散して脱進機を傷めるリスクを伴いましたが、1967年に炭化モリブデンベースの新潤滑システムを開発することで解決しました。1969年1月10日、ゼニスは他社に先んじて、スペイン語で「最初」を意味する「エル・プリメロ」を世界に発表します。しかし、当初の会見が小規模だったことや、実際の市場投入が同年10月になったことから、普及の面ではライバルに遅れをとる形となりました

2. 暗黒の時代と「救世主」たちの決断(1972年〜1975年)

1970年代、安価で正確なクォーツ時計の台頭により、機械式時計は存亡の危機に立たされます。1972年にゼニスの筆頭株主となった米国のゼニス・ラジオ・コーポレーションは、投資回収を急ぐあまり、1975年にすべての機械式キャリバーの生産停止を決定しました
このとき、経営陣は製造用の金型やプレス機をスクラップとして売却するよう命じましたが、シャルル・ベルモが独断でこれに背きます。彼は金型や設計図を工場の屋根裏に隠し守り抜いたのです

3. オスカー・ウォルダンと復活への胎動

この危機的な時期に、もう一人重要な役割を果たした人物が、時計師でありデザイナーのオスカー・ウォルダンです。ポーランド系ユダヤ人である彼は、ナチスの強制収容所での過酷な体験の中で時計修理の技術を学び、戦後にアメリカへ渡り成功を収めました
1970年代後半に自身のブランドを設立したウォルダンは、エル・プリメロの優れた価値を確信していました。彼は、自身のクライアントであったエベル(Ebel)社にエル・プリメロの採用を強く勧め、自らのブランド「ウォルダン・インターナショナル」のために、ゼニスの倉庫に眠っていた膨大な数のエル・プリメロ・ムーブメントを買い取り、ティファニーなどの高級ブランド向けに限定モデルを制作しました。彼のこうした動きが、眠っていた名機を再び市場へと引き戻す原動力となりました

4. ロレックスの採用と伝説の復活(1980年代〜)

1978年、DIXI社のポール・カステラがゼニスを買い戻したことで、復活の舞台が整います
1981年: エベルが未完成のパーツ在庫を購入し、製品化
1984年: ロレックス社が、自社モデル「デイトナ」の心臓部としてエル・プリメロを採用することを決定 ロレックスの要求に合わせ、日付表示の削除や振動数の調整など200箇所におよぶ変更を加えた「キャリバー4030」は、1988年に発表され、10年間にわたる大型契約が結ばれました。この契約が決定打となり、エル・プリメロが再び陽の目を見ることになったのです

5. 現代の黄金期(1999年〜現在)

1987年に元の「3019 PHC」から「キャリバー400」へと改称されたエル・プリメロは、タグ・ホイヤーやパネライなど多くのブランドを支えました。その後、1999年にLVMHグループがゼニスを買収したことで、グループ外のブランドへのムーブメント供給は停止され、現在はゼニスとLVMHグループ傘下の時計ブランドのハイエンドモデルを象徴するアイコンとして、さらなる進化を続けています

二人の「救世主」が繋いだ奇跡のバトン

需要を創出したウォルダン氏と、道具や設計図を救ったベルモ氏。この二人がいなければ、デイトナもクロノマスターも存在していなかったかもしれません。


3. エル・プリメロ・キャリバー完全網羅リスト

エル・プリメロは進化し続けています。それぞれのキャリバーが持つ個性と役割を整理しました。

このリストでは、単なる年表ではなく、そのムーブメントが「時計史においてどのような役割を果たしたか」という視点を加え、系統別に整理しています。


1. 始祖と復活の基幹系統

エル・プリメロの「核」となる自動巻きクロノグラフの進化系譜です。

キャリバー 登場年 振動数 主な特徴・役割 搭載モデル(例)
3019 PHC 1969 36k 全ての始祖。 世界初の自動巻きクロノグラフ。 A384 / A386
400 1987 36k 復活後の標準機。一部パーツを共通化し量産性を向上。 クロノマスター
400Z 1998 36k 400の脱進機等を改良。現在の「400系」の完成形。 ポートロワイヤル
4030 1988 28.8k ロレックス専用。 耐久性重視で振動数を落とした異端児。 デイトナ 16520
4100 2010s 36k 400のアップデート版。部品精度と仕上げが向上。 36,000VpH

2. 伝統的複雑機構

カレンダーやムーンフェイズなど、古典的な意匠を継承する系統です。

キャリバー 登場年 振動数 主な特徴・役割 搭載モデル(例)
3019 PHF 1970 36k 初代のトリプルカレンダー版。製造数は極めて少ない。 Espada (1970s)
410 / 410Z 1994 36k 3019 PHFの正統進化。90年代ゼニス復活の象徴。 クロノマスターT
405 1997 36k フライバック機能を追加。フランス空軍仕様。 レインボー
4001 1990s 36k 410にデイ/ナイト表示を追加した豪華版。 クロノマスターT
4009 2000s 36k 410の角型ケース(レクタングル)対応版。 ポートロワイヤル
4054 2011 36k アニュアルカレンダー。2月以外調整不要。 キャプテン ウィンザー

3. モダナイズと視覚的進化

2000年代以降の「魅せる」デザインと、現代的な機能美を追求した系統です。

キャリバー 登場年 振動数 主な特徴・役割 搭載モデル(例)
420 / 420Z 1993 36k 手巻き仕様。 薄型化を目的とした通好みの逸品。 プライム / HW
4002 2002 36k 2カウンター化。クラシックな顔立ちを演出。 エル・プリメロ HW
4021 2003 36k 「オープン」の先駆け。パワーリザーブ計を搭載。 クロノマスター オープン
4046 2009 36k ワールドタイマー+GMT+アラーム。多機能の極み。 パイロット マルチシティ
4047 2010 36k オープン+ビッグデイト+サン&ムーン表示。 グランドデイト
4061 2012 36k 4021から日付を除き、窓を大型化。現在の主力。 クロノマスター 1969
4069 2015 36k 3カウンター・日付なし。ミリタリー・ヘリテージ用。 パイロット タイプ20

4. 超複雑・特殊機構

ゼニスの技術力の限界に挑んだ、アカデミー・コレクション等の最高峰系統です。

キャリバー 登場年 振動数 主な特徴・役割 備考
4005 2004 36k エル・プリメロ初のトゥールビヨン 日付付き
4026 2010 36k ラトラパンテ+ビッグデイト。 スプリットセコンド
4031 2005 36k ミニッツリピーター+アラーム+パーペチュアル。 史上最多パーツ数
4035 2000s 36k トゥールビヨン・クロノグラフ。 4005の派生型
8800系 2008 36k Zero-G。重力の影響を受けないジャイロ機構。 8801 / 8804 等

5. 新世代の革新

1/10秒計測や1/100秒計測など、ハイビートの特性を極限まで高めた次世代機です。

キャリバー 登場年 振動数 主な特徴・役割 搭載モデル(例)
4052 2010 36k ストライキング10th。1/10秒を肉眼で確認。 1/10thモデル
4057 2011 36k ストライキング10thにフライバックを追加。 ストラトス
4650 2012 36k クロノを排除した純粋な3針機 エスパーダ
9004 2017 36k/360k 1/100秒計測。二つの脱進機を持つ怪物。 デファイ 21
3600 2019 36k 現代の基幹機。 部品集約と60hパワーリザーブ。 クロノスポーツ
3620 2022 36k 3針でありながら、スモセコが10秒で1周する。 デファイ スカイライン

4.外部ブランド供給リスト:ブランド別名称とベースCal.

他ブランドに供給されたエル・プリメロの全貌です。ここではブランド側の独自呼称と、その中身(ベースCal.)を正確に紐付けました。

【LVMHグループ内】

LVMH傘下ブランドは、現在も「グループの至宝」としてエル・プリメロを特別視しています。

ブランド 独自名称 ベースCal. 搭載モデル・特徴
タグ・ホイヤー Calibre 36 400 カレラ、モナコ、モンツァ等に広く採用。
Calibre 36 (FB) 405 フライバック機能を持つカレラ等に搭載。
ウブロ HUB4700 400 スピリット オブ ビッグ・バン。フルスケルトン仕様。
ブルガリ BVL 328 / SK 400 オクト ヴェロチッシモ。脱進機にシリコン素材を採用。
ルイ・ヴィトン LV 277 400 タンブールクロノ等で使用。
ディオール CD.001 (Irréductible) 400 シフル ルージュ。ローターに独自の意匠。現在も継続。
ショーメ (Zenith EP 4002) 4002 ダンディ クロノグラフ XL。2カウンター仕様。

【LVMHグループ外(歴史的供給)】

エル・プリメロが業界全体で最高峰と認められていた証です。

ブランド 独自名称 ベースCal. 搭載モデル・備考
ロレックス Cal. 4030 400 デイトナ (16520)。28,800振動。
パネライ OP IV / OP VI 400 ルミノール クロノ (PAM00072/121等)。裏透けから確認可能。
エベル Ebel 134 400 1911 クロノグラフ。ゼニス復活を支えた大口顧客。
モバード Datron HS 360 3019 PHC ダトロン。1969年当時の共同開発・提携関係による。
ダニエル・ロート (Zenith EP 400/410) 400 / 410 初期アストロニック等。トリプルカレンダー版も多用。
コンコルド Impessario 411(410) インプレサリオ。90年代を代表する多機能供給例。
パルミジャーニ (Zenith EP 400) 400Z トリック・クロノグラフ等。独立系名門への供給例。
ユリスナルダン (Zenith EP 400) 3019 PHC ウォルダン社による製造モデル
ダンヒル (Zenith EP 410) 410 ミレニアムに採用
ウォルダン Waldan 3019 3019 PHC/F 70年代のデッドストック在庫を買い取って使用。

  • 「Z」の意味: 90年代末以降のキャリバーに付く「Z」は、脱進機の素材や形状を見直し、それまで弱点とされていた「潤滑油の飛散と摩耗」を劇的に改善した改良型を指します。


4. リファレンス(型番)から読み解くエル・プリメロの選び方

エル・プリメロは非常に多くのモデルが存在するため、選び方のポイントを「サイズ」と「デザイン」で整理するのが正解です。

  • サイズ感の選択:38mm vs 42mm vs 45mm

    • 38mm: 1969年のオリジナルに近い。日本人の腕に馴染みやすく、ヴィンテージ感を好む方に。

    • 42mm: 現代のスタンダード。圧倒的な視認性と、高級時計としての適度な主張が楽しめます。

    • 45mm: モナコ24やストラトスなど、圧倒的なタフさと存在感を求めるプロフェッショナルな腕元に。

  • 「オープン」か「クラシック」か

    • 心臓部の動きを直接楽しみたいなら「オープン」窓付き。

    • 3色のインダイヤル(ブルー、グレー、シルバー)の調和を愛でるなら、伝統の「クラシック」ダイヤルがおすすめです。


5. バイヤーが教える「真の価値」とメンテナンス

エル・プリメロは「一生物」です。しかし、そのポテンシャルを維持するには定期的なメンテナンスが不可欠です。

  • 資産価値としての側面、特にエルプリ搭載のロレックスやパネライ、ゼニスの限定生産モデルなどは、中古市場でも非常に高い価値を維持しています。単なる時計ではなく「所有する喜び」と「資産」の両面を持っています。
  • メンテナンス(オーバーホール)の重要性について、エルプリメロが誇る36,000振動というハイビートは、車に例えるなら常に高回転で走るスポーツカーです。数年に一度の丁寧なメンテナンスが、その鋭い鼓動を次世代へと繋ぎます。専門店であるウォッチワースでは、お買い上げ後のアフターフォローも万全を期しています。また当店以外で購入されたエルプリメロ搭載機についてもオーバーホールや修理を承っています。

6. まとめ:あなたの人生を刻む最高のエル・プリメロを

エル・プリメロは、単に時間を知るための道具ではありません。それは、シャルル・ベルモ氏が守り抜いた信念の結晶であり、人類の時計製造技術が到達した一つの頂点です。

私は現在ヨーロッパのオークションハウスカタウィキ時計部門の上級エキスパートとして、ゼニスに限らず様々なブランドの高級時計の真贋鑑定や値付けを行う傍で、趣味が講じてエル・プリメロ専門店「ウォッチワース」を運営しています。これまで数多くのエルプリメロ搭載機を見てきました。その一本一本に宿る物語を、ぜひあなたの腕元で感じていただきたい。このページがあなたにぴったりの「最高の一本」を見つける手助け、参考になれば幸いです。

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